マタギナガサ(叉鬼山刀)

マタギナガサ(叉鬼山刀) フクロナガサ

マタギナガサ(叉鬼山刀) 木柄ナガサ

タテ(手槍)を担ぎアマブタ(編み笠)をかぶり伝統のマタギ装束に身を固め、霧の阿仁山中を行く鈴木シカリの孤高の姿を残してくれたのは、ニューヨーク在住のカメラマン・チャールズ・リンゼイ氏です。
Matagi

熊を仕留めるとシカリは山に向かって大声で「勝負、勝負」と叫び、山の神の向かって「熊と堂々と闘って勝った。卑怯なことはしなかったぞ。」と報告をするのだそうです。阿仁に行っては秋田銘酒の一升瓶を抱えて夜のふけるまで、こんな阿仁の話やマタギの話を聞いたものでした。
秋田県阿仁町の鍛冶職人・西根正剛(故人)のつながりは1980年に遡ります。西根家とはもう30年近い付き合いになります。
もともとマタギの化に興味のあった相田義人が、ある時、マタギ使っていた刃物がどうしても見たいという衝動にかられ、落人の里ともいわれる阿仁の根子(ねっこ)の村へ旅に出ました。ひょんなことから宿屋の親父に西根正剛さんを紹介してもらい、オートバイに跨りすぐに会いに行き、その場で一本のフクロナガサを注文したのが始まりです。
これがきっかけで、最後のシカリ(マタギの長)鈴木松治さんや松橋さんとも知り合いになり、相田義人と阿仁の親交は深まっていきました。その後マトリックス・アイダが発売元となり全国的にナガサ紹介していったもので、今の和式刃物隆盛の先駆者といえる刃物です。

故・西根正剛氏(Masataka Nishine)
西根さん
写真: マタギ写真家・田中康弘氏
(Photo by:Yasuhiro Tanaka)

西根正剛氏の没後、途絶えると心配された伝統の技は西根 登氏に継承され、彼の製作するナガサには『誠』の一文字が刻まれています。
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秋田県阿仁山中に住み、主に熊やカモシカを獲物としていた狩猟民は自らをマタギと呼び独特の生活と文化を大きな自然の中で育んできました。
単発猟銃で山の主である熊との戦いを「勝負」と考えている勇敢なマタギたちは、射損じや不意の遭遇の時には彼らが「タテ」と呼ぶ熊槍を以って闘ったのです。阿仁には数多くの伝説的なマタギの「シカリ」の武勇伝が語り継がれています。

猟銃の進歩とマタギの終焉ともに長い「タテ」は不要となり、現在ではハンターばかりか、渓流釣りや山菜取りにも携帯に便利なサイズの「叉鬼山刀(ナガサ)」へと進化し、ただ一軒その伝統を引き継いでいるのが阿仁町の西根ナガサです。

「フクロナガサ」のハンドル部分は溶接ではなく、刃体と一体の地金を赤め、特殊な金床とハンマー一丁で叩き出す鍛錬の技です。袋状のハンドルの合わせ目は僅かに隙間が空き、握り締める握力を吸収することにより力が入るとともに、物に食い込んだ瞬間の衝撃が直接手首に伝わらない効果があります。
叉鬼山刀はすべて片刃です。左利き用は別誂えとなりますのでご相談下さい。

※『叉鬼山刀』と『フクロナガサ』は西根打刃物製作所(代表・西根誠子氏)の登録商標です。秋田県優秀県産品推奨。

マタギナガサ(叉鬼山刀) フクロナガサ

マタギナガサ(叉鬼山刀) 木柄ナガサ